4月24日(日)、猪熊先生と行く歴史探訪ツアーを実施いたしました。
近鉄喜志駅をスタートし、バスで阪南ネオポリスに向かい、近つ飛鳥風土記の丘から聖徳太子ゆかりの
お寺・叡福寺まで約3Kmの道のりを歩いて巡りました。
近つ飛鳥風土記の丘
河内三大古墳群のひとつである一須加古墳群の一部を整備・保存している史跡公園です。
約250基の古墳の大半は直径10~12mの円墳で、渡来系氏族の集団墓地と考えられています。
風土記の丘入口。
猪熊先生の解説を皆さん メモを取ったり、熱心に聴いておられました。
横穴式石室。
高句麗の影響が百済や伽耶を経由して日本に伝播したと言われ、6~7世紀に盛んに造られました。
蓋を開けることができる横穴式の石室は親と子、孫迄 一緒に埋葬されることがあったそうです。
内部を見学することもできました。
巨大な横穴式石室。
寛弘寺古墳から移築されたものです。7世紀前半頃のものとされ、この時期造られた石室の中では
最大級で、周囲に排水溝がある珍しい構造です。
近つ飛鳥博物館
大阪府河南町・太子町に所在する古墳時代から飛鳥時代にかけての文化遺産に関する博物館です。
建築家・安藤忠雄氏による設計で、「現代の古墳」をイメージし造られました。
仁徳天皇陵古墳の模型。古墳時代の道具や鏡、埴などの副葬品も展示されていました。たくさんの
副葬品が埋められた古墳は、大きな権力の持ち主のものであることを表します。
7~8世紀の役人は文字を書くことができました。書き間違うとナイフで消していて、遺跡から
そんな失敗作が見つかっているのだそうです。面白いですね!
叡福寺
聖徳太子廟を守るお寺。織田信長の兵火により全焼しましたが、江戸時代後期に再建されました。
宮内庁により管理されている聖徳太子廟。
太子と太子の母后・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女、太子の妃・膳部大郎女(かしわべの
おおいらつめ)の3名が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれています。
御廟所を取り巻く結界石。弘法大師・空海が築いたと言われています。
当日は今年で9回目となる、太子聖燈会が開催されており、1万燈の蝋燭が美しく並べられていました。
火が灯った景色はどんなにきれいでしょうか。私達は後ろ髪を引かれながら、帰りのバスに乗り込んだの
でした。
今年で第14回を迎えた歴史探訪ツアーは、ゴールデンウィーク前の休日にもかかわらず、たくさんの
方にご参加頂き、無事に終えることができました。これからも関西に眠る史跡を皆様にご紹介してまい
ります。
是非ご参加ください。