4月20日(土)に恒例の歴史探訪を行いました。

第18回目の今年は和歌山まで足をのばし、和歌山城や紀ノ川下流に位置する古墳群、出土品の見学など、古代日本と朝鮮半島との友好の歴史を感じる日帰りバス旅行でした。

大谷古墳

和泉山脈の南麓から派出した尾根の突端を利用して造られた前方後円墳です。

古墳の主体部は石室を設けずに石棺を直接埋納する形式で、石棺の形式や副葬品から5世紀末から6世紀の初め頃に造営されたと考えられています。石棺内や主体部からは馬甲をはじめとする馬具や垂飾付耳飾など、韓国釜山、馬山など伽耶地方で発見された例もあり、近年、伽耶との関わり合いも注目されています。このことから、大谷古墳に埋葬された人物は、大和朝廷や朝鮮半島と関係が深い人物ではないかといわれています。

史跡 和歌山城 

天正13年(1585年)に、紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが和歌山城の始まりです。
まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、次に慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。そして、元和5年(1619年)に徳川家康の第10男・頼宣が入城し紀州藩が成立され、55万5千石の城となりました。紀州徳川家は、尾張・水戸とともに「御三家」と呼ばれ、8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出しました。

城内の石垣は、緑泥片岩の野面積、和泉砂岩で谷積や布積など様々な積み方になっており、3回築城された和歌山城の時代の流れを感じることができます。

天守閣からの絶景を眺め、江戸時代に藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である「二の丸」と紅葉渓庭園のある「西の丸」を行き来するために架けられた橋「御橋廊下」を通り、和歌山城を後にしました。 「御橋廊下」は屋根があり、外からは見えないつくりになっていて秘密の通路のようでした。

日前神宮・國懸神宮 

日前神宮・國懸神宮は、同一境内に鎮座している二社からなる大社です。

日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しています。

日本書記にはその最初に鋳造された天照大御神の御鏡前霊(さきみたま)が、日前國懸両神宮の御神体として奉祀されたと記されています。

天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが起源とされています。

岩橋千塚古墳群/紀伊風土記の丘

和歌山市にある古墳群で国の特別史跡です。

紀ノ川の南岸の岩橋山塊に、800基を超える古墳があります。丘陵尾根伝に天皇・将軍・郡長などと名が付く前方後円墳や円墳があり、今回は、方墳の横穴式石室と墳丘の目立たない竪穴式石室を見学しました。見学した石室は、紀ノ川流域に散布する板石の緑泥片岩を重ねて積まれているため、補強の手段として梁と棚がありました。また、石棺の大きさから古代人と現代人の体形の違いもわかり、そのことで参加の皆さんと大いに盛り上がりました。また資料館では、翼を広げた鳥形埴輪や両面に顔がある両面人物埴輪など珍しい埴輪などが展示されおり、参加の皆さんは熱心に猪熊先生の説明に耳を傾けました。

参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
紀伊の春を感じる日帰りバス旅行はいかがでしたか。
次回も皆様のご参加を心よりお待ちしております。