仏教が倭国に公式に伝えられたのは、538年・548年・552年と様々な説がありますが、いずれにしても百済の聖明王(せいめいおう)が怒利斯致契(ぬりしちけい)を倭国に遣わせたことに始まることは間違いないでしょう。
「聖明王は西部姫氏達率怒利斯致契(せいほうきしだちそちぬりしちけい)らを遣わして、釈迦仏の金剛像 ・一躯・幡蓋(はたきぬがさ)若干巻・経論若干巻を贈った。別に、仏を広く礼拝する功徳を述べて、『この法は諸法の中で最も優れております。(中略)遠く天竺(インド) から三韓に至るまで、教に従い尊敬されています。』(中略)天皇はのれを聞きたまわって、欣喜雀躍され、『自分は昔からこれまで、まだこのような妙法をきかなかった』(中略)蘇我大臣稲目宿襯(そが のおおおみいなめすくね)が申すのに『西の国の諸国は皆礼拝しています。豊秋の日本だけがそれに背くべきでしょうか』と。」
(日本書紀欽明天皇十三年の条)