随が中国を統一したことで東アジアの国々は大きな圧力を受けることとなりました。
その中で各国は盛 んな交流を行い、聖徳太子は四天王寺を舞台に等距離外交を展開していきました。
「大唐(もろこし)の使人、裴世清(はいせいせい)と下客十二人が、妹子に従って筑紫についた。 (中略)六月十五日、客たちは難波津に泊まった。この日飾船三十艘で、客人を江口(大阪中之島か)に迎えて新館に入らせた。使者、裴世清自ら書を持ち、二度再拝(両段再拝)して使いの旨を言上した。」
(日本書紀推古天皇十六年の条)