~友情は1400年の彼方から~ 古代東アジアの国際交流を雅やかに再現した大阪のお祭り
FAQs

古代交流

金春秋(きんしゅんじゅう)の渡来

「新羅が上臣大阿食金春秋(だいあさんこんしゅんじゅう)後の武烈王らを遣わして、博士小徳高向黒 麻呂(はかせしょうとくたかむこのくろまる)、小山中中臣連押熊(しょうせんちゅうなかとみのむらじおしくま)を送り、孔雀一羽・鸚鵡 …

天日槍(あめのひぼこ)・阿加留比売(あかるひめ)の渡来

「三輪の君の祖大友主(そおおともぬし)と倭直の祖(やまとのあたい)である長尾市(ながおち)とを播磨に遣わして、天日槍にお尋ねになって「『どこからいらっしゃいましたか。』と仰せられた。天日槍は答えて、『私は、新羅国の王子で …

遣隋使の派遣

随が中国を統一したことで東アジアの国々は大きな圧力を受けることとなりました。 その中で各国は盛 んな交流を行い、聖徳太子は四天王寺を舞台に等距離外交を展開していきました。 「大唐(もろこし)の使人、裴世清(はいせいせい) …

仏教の伝来

仏教が倭国に公式に伝えられたのは、538年・548年・552年と様々な説がありますが、いずれにしても百済の聖明王(せいめいおう)が怒利斯致契(ぬりしちけい)を倭国に遣わせたことに始まることは間違いないでしょう。 「聖明王 …

古代人の挨拶

古代人は天地自然や祖先を崇拝し、上代の昔より 両段再拝という礼拝を行っていました。 これは現在でも神社などで行われる「再拝」(拍手を二回うつ形)のさらに丁寧なものといえます。 1.基本姿勢 2.両手を前で合わせて、片ひざ …

王仁(わに)博士の渡来

倭国・百済の友好関係の中、多くの人々が倭国を訪れました。その中でも有名な王仁博士の渡来です。 「また百済国にも『もし賢し人あらば』とおおせたまひき。故、命を受ける人、名は和邇吉師(わにきし)。 すなわち論語十巻、千字文一 …

聖徳太子の衣装

聖徳太子の服装は一万円札の姿と思われていますが、これは太子没後百年以上後に描かれたもので、太子の時代には、あのような冠、笏(しやく、手に持った長い板)、メタルで飾ったバンドがありませんでした。 そこで、「四天王寺ワッソ」 …

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